Markの2シーターF1同乗走行体験記

 

英語公式のリーダー的存在のマークは昨年の夏、ミナルディの2シーターF1マシンにゾルト・バウムガートナーのドライブで同乗走行をする機会を得ました。ポール・ストッダートがその前の年に開いたチャリティー・オークションで大金を投じて権利を得たのです。ハンガリーGPが行われた数日後、ハンガロリンクまでストッダートのプライベートジェットで飛び、貴重な体験をしてきたのですが、その様子は彼のサイトレポートとして公開されていました。私もそれは読んでいたのですが、先日、その時の様子を詳しく聞く機会があり、改めてF1マシンに乗ることの凄まじさを知りました。そこで彼の了解を得て、こうして翻訳し、彼が語った内容をレポにすることにしました。

まず最初にマークが書いたレポートの翻訳です。もし読む時間がなければ、翻訳は飛ばして彼にインタビューをした後半部分だけでも読んでみて下さい。レポートは衝撃的な体験を淡々と語っているのですが、生の口から飛び出す言葉はその何倍もの衝撃があり、F1マシンに乗ることの凄まじさが強烈に伝わってきますよ。

 

走行前、期待に胸を震わせて...

 

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原文: Onboard With Minardi Part 2

以下、レポートの翻訳

 

さて、なんとコメントして良いのやら。私は1973年頃からF1を見てきた。30年以上もの間、ドライバーを見ながら、F1を運転するというのはどんなものだろうかと思い続けてきた。自分の乗用車を倍くらいのスピードで運転するようなものだろうかと思ってきた。しかし、間違いだった。

「暴力的!」

それがF1マシンの乗り心地を表現する言葉だ。ゾルト・バウムガートナーはいいドライバーだ。彼はおそらく9割方の力(250kmから275km)でハンガロリンクを走っていたに違いない。

ピットを出て行く時、私は興奮していて、全てのことがスローモーションのように見えた。眩しい日光の中に出て行く、クルーがピットレーンに導く、周りの人がいっせいに私たちの写真を撮る、そして...「ドカン!」シー トが体に食い込んで通り抜けようと試みているのではないかという感じがし、ピットレーン出口のグリーンライトへ向けて走り出した。

ピットレーンを出たとたん、再び「ドカン!」。シートとマシンが私を置いて行こうとしているかのようだ。幸いなことに私には十分な大きさの体があるのでそれは免れることができ、マシンは私を乗せたまま走らざるをえなかった。さあ、私にとっての「世紀の一瞬」が始まる。

ピットでマシンに乗り込んだ時、シートベルトできつく括りつけられたのだが、それはちょうど誰かが胸の上に乗っているかのような感じだった。しかし、最初のコーナーに近づいてブレーキが利いたとたん、きつくしてくれていて本当にありがたいと思った。ゾルトがブレーキを踏んだ時、私は前方に発射された − 実際は少なくとも内臓と頭はそうだった − 他の部分は全て6点ハーネスできつく縛り付けられていたのだから。この感覚はまるで後ろからスーパーマンがハーネスを思いっきり引っ張っているようなものだ。

減速の仕方というものは全く想像を絶するものだ...超高速から単なる高速に減速するだけなのだが。時速100kmでコーナーを曲がっていたが、一体全体どうやってコースオフしないでいられるのか。どうやってタイヤがグリップを失わずにいられるのか。相次ぐコーナーごとにブレーキは私を投げ出そうとするし、直後の加速は押し戻そうとするし。直線に入った時にどれだけホッとすることか。直線では確かにスピードは出ているが、体にかかるGフォースはほんの小さなものに過ぎないのだから。そしてやっとそこで息ができ、しばしの安静が得られ、そしてまた「ドカン!」と再びブレーキが掛けられるのだった。

そのブレーキングというのはブロック塀に衝突するようなものだ。教習所でブレーキはじわじわと掛けなさいと教わるけれど、そんなものどこにもない。ドカンと掛かるか、全く掛けないか。F1のブレーキとはそういうものだ。コースの上ではブレーキを掛けているか、加速しているかのどちらか。例外は直線のみ。ゾルトの後ろからの眺めはすばらしいものだ。実際は目の前に(ゾルトの)ヘッドレストがあるのだが、ほとんど気にならない。私は右や左を向いてコーナーを見て、彼がどんなラインをとるか予想しようとしていた。タイヤが鳴きはじめたり、マシンがガタガタと振動し始めるので、彼がコーナーを攻めているというのが判るのだが、何度か、リアがポンと外に飛んだ。しかし私が気づく のとほとんど同時に彼は修正を加えていた。電光石火のような反応。彼は電光石火のような反射神経を持っている。

全部で4周した。ゆっくり目のアウトラップ、2周のフライングラップ、そしてインラップ(ただし、これはフライングラップよりも遅いというわけではなかった)。ヘルメットに無線がついてなくてよかった。なぜならずっと悲鳴を上げつづけていたのだから。とにかく悲鳴が上がってしまう。体にかかるGフォースは今まで経験したことがない凄さだった。片側のシートベルトが体に食い込んだかと思うと、次は反対側。強烈にシートに押し付けられたかと思うと、次に瞬間には前につんのめりシートベルトに締め付けられる。友達が運転する車のリアシートに4人がすし詰めで座り、可能な限り高速でコーナーを曲がった時に3人の重さが一気に押し寄せてくる感覚とでも言えば、少しはその感覚が判ってもらえるだろうか。

ほんの数日前にテレビで(ハンガリーGPを)見たばかりのコースを走るので、部分部分は覚えがあるけれど、すぐにどこだか判らなくなる。で、ピットウォールにいる友人の横を通り過ぎて新しいラップが始まるのを知る。ああ、何か魔法の呪文でも操って、今あなたが見ているPCのスクリーンから飛び出し、マシンの中で私がどんな感覚だったかを教えるすべがあったらなぁ。私に力があればビデオを撮ることも出来たかもしれないが、それだけの腕力はないし。

私は自分の運転にとても自信を持っているし、オートバイの教官でもあったし、30年来の「傍目八目」的(つまりは机上の論理で勝手な批判をする)F1ドライバーのつもりだったが、私にはF1マシンなど絶対に運転できないと今では確信を持って言える、ということだけは皆さんに伝わったのではないだろうか。私にはあれだけの暴力的な環境で集中することなどできはしないし、毎周毎周襲ってくる肉体的な苛みを楽しむこともできないから。

今まで私が「ヘタくそ!」と批判してきたF1ドライバーの皆さん、ごめんなさい! どんなに最悪の結果となったレースにおいてもあなた達は、私には絶対に真似が出来ないほど優秀なドライバーであったことが判りました。

タク、サコン、フランク、ユージ、尊敬するよ。君たちはいったいどうやって(耐えながら)運転しているんだい?

 

翻訳、ここまで

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いよいよ、これからスタート

 

このあたりまでは余裕(笑)

 

ストレートでホッと一息

 

心なしか顔が引きつっているような?

 

さて、ここまでは彼のレポートですが、これを読んだ上で「で、怖かったかい?」と聞くと...
「いや、怖いなどと思うヒマもない、というか、ただただ『息をしなければいけない』と考え続けていたんだよ」
「息をしなければいけない???」

「ピットでシートベルトを締めてくれた時、物凄くきつく締め上げるんでとても息苦しかったんだ。身動きが全く出来ないほどの強さで締め付けられたからね。ところがそんな状態からでもブレーキが掛かった瞬間に背中に5センチほどの隙間ができたんだ。『この隙間はいったいどこからやってきたんだ?』って思ったけど、肺が潰れてできたんだね。つまり息を吸いたいのに、無理やり吐き出させられるのさ」

「で、ブレーキを離した瞬間にアクセルオンだから、5センチの距離から暴力的に硬いシートに背中が叩きつけられて、また息が出来なくなる。その繰り返しなんだ。だからずっと息がしたいのにできない状態だったんだ。そして直線に入るとそこでようやく息ができるようになるんだけどね」

「乗る前に『たった4周だけか』と正直物足りない気がしていたんだ。でも、3周目が終わってインラップに入った時、『もう止めてくれ!』と叫びたかったんだ。それほど苦しくて辛かった。息が出来ないだけでなく、肉体的にも踏ん張り過ぎで筋力の限界だったし、何しろ体中がぶつかったり食い込んだりで痛いしね。で、ピットロードに入った時、本当に神に感謝したよ。『ああ助かった』と思ったね。あのままもう一周でもしていたら、酸欠で失神していたかもしれないと本気で思っているよ。でも、ピット前に停止した瞬間には『もっと乗りたい』と思ったんだけどね(笑)」

「筋力の限界といえば、最初のコーナーを曲がった瞬間に頭が完全に外を向いてしまったんだ。それも首がちぎれるんじゃないかと思うくらいの力でね。でも、運転手の習性として車が曲がっていく方向を見たいじゃない。そうしないと怖いしね。だからそれ以降ずっと両手でヘルメットの顎の部分を持ってイン側にグイッ、グイッと無理やり向けてやっていたんだよ。それも物凄い力でね。だから両腕が痺れてきたんだ。F1ドライバーは首の力だけで1時間半もそれを続けているんだとはとても信じられないことだよ」

「そしてそのコーナリングの凄さも驚異的なものなんだ。物理の法則を無視していると思ってしまうよ。まず自分で考えると、ここがブレーキングを始めるポイントという感覚があるだろ。ところがそこからさらに数十メートル、直線の後なら100m以上過ぎてもまだアクセルを踏んでいるんだよ。で、その先には恐ろしく鋭角的なコーナーが見えているんだから『わっ、これは絶対に曲がれない、コースオフだ!』と思うわけ。そう思ってもまだアクセルから足を離さないんだ。そして突然、ガンッとブレーキの衝撃があって横Gに振り回されて、あっという間にアクセルオンでシートに叩きつけられて...気がついたらちゃんと曲がれていた、って感じさ。いったいあのスピードであの角度でどうやったら曲がれるのかさっぱり判らないよ」

「そんな暴力的な時を過ごしているF1ドライバーは当然それに備えて鍛えてあるんだろうけど、あれだけの苦痛に1時間半以上も耐え続けているなんて信じられないよ。肉体的にも精神的にもね。どんなに鍛えた体だって、レース後半になると体のあちこちが『もう止めてくれ、休息を与えてくれ』と悲鳴を上げ続けているに違いないと思うんだ。その中で精神力で集中し続けるというのは並大抵のことではないはずだし、まして最終周にオーバーテイクをしようなんて、余程の精神力がないと出来ることではない思ったね」

「2005年モナコの最終周、ヌーベルシケインでシューマッハーがバリチェロを抜き、ホームストレートで弟に並びかけただろ。あれを見て『馬鹿なやつだ。それだけ無理したってポイントでは大して変わらないじゃないか』と思っていたんだけど、今回自分がF1のスピードで走るマシンに乗せられて、一番最初に思ったのが『シューマッハーという男はとてつもない奴だ』ということだったんだ。いかに彼の身体が優れていようと、あのモナコのコースで2時間近く走って体中が悲鳴を上げていたのは間違いない。神経をすり減らすサーキットだから精神的にもヘトヘトだっただろう。それなのに肉体的にも精神的にもストレスの度合いが非常に大きいはずのオーバーテイクを仕掛けようと思い、それを実行することができるのだから驚きだよ。俺は 全く失礼な奴だったと思い知らされたね(笑)」

 

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レポートの日本語訳にあたって、マークからコメントをもらいました。



日本のF1ファンの皆さんに読んでもらえることになってとても光栄だよ。F1マシンに乗った経験を一言で表すとすれば「初めて日本でラーメンを食べた時のような衝撃」なんだ。

えっ? どういう意味かって?

日本のラーメンはロンドンのお店(筆者註: 日本食ブームに便乗してできたイギリス人経営のラーメン専門店)で何度か食べたことがあるのだけど、全然美味しいとは思わなかったんだ。で、去年、東京で友人に「ラーメンの美味しい店があるから」と連れられて行った時も、「なんで日本にまで来てあんな美味しくないものを食べなくてはならないのか」と気乗りがしなかったんだ。でも、せっかく連れて行ってくれるのに悪いから黙ってついていったんだよ。だけど、その店で一口食べた瞬間に驚いたよ。「世の中にこんなに美味しいものがあったのか!」とね。特にあのスープは絶品だと思ったね。芳醇な風味とコクが旨みとともに口の中に広がって、今思い出しただけでも涎が出そうになるよ。だから日本滞在中はいろんなところのラーメン屋に行ったんだけど、少しずつ違っているけれどどこもとてもすばらしい。道理でどこにでもたくさんのラーメン屋が並んでいるわけだ。フィッシュ&チップスなんてどこも変わらないから、店がたくさんあったら共倒れしちゃうと思うけどね。

話がちょっと脱線してしまったけれど、「どんな偽物の経験をしても本物は絶対に理解できない」ということが、そのままF1マシンにも当てはまるんだ。どんなスポーツカーに乗ったことがあっても、それはF1の1%も理解したことにならないんだね。だから皆さんにも経験してもらうのが一番いいんだけど、なかなかそういう機会はないからね、私のレポートを読んで少しでもF1ドライバーの超人的な凄さがわかってもらえたらいいのだけど。

どうです? あなたはF1ドライバーになってみたい?

マーク・タルボット

 

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